2016年8月9日火曜日

自己保身と責任逃れと――昭和天皇の場合

自己保身と責任逃れと
昭和天皇の“退位せぬ”理由


「海つばめ」第709号(1999年1月17日)

■公表された発言の記録から

 昭和天皇が戦後、なぜ皇位に留まったかについて語った記録が公表された。昭和天皇が死んでちょうど十年が過ぎたが、この発言録を読んで昭和天皇(君主一般の性格であるが)なるものが、いかに手前勝手なご都合主義者であり自己保身の固まりであったかが分かるだろう。

 この発言録は敗戦から26年たった1968年に天皇の側近であった稲田侍従長に「退位の意思」について語ったものを稲田が記録したのである。
 昭和天皇は先ず第一に明治天皇が、首相であった伊藤博文がたびたび辞任を申し出たのに対し、「天皇は記紀に書かれている神勅を履行しなければならないから退位できない」と述べたことを自分が退位できないことの根拠にしている。

 しかし「神勅を履行する」といったことは神格化された天皇にとって形式的、儀礼的常套句にすぎない。また神勅といったことはどんな解釈も許すものであり、それを履行しなかったからといっていかなる法的責任も問われるわけではない。明治天皇は退位しなかったが、歴史上退位したり譲位したりした天皇は数多い。

 それに明治天皇の場合は、近代天皇制の基礎が据えられた時代であり、日清、日露の両戦争に勝利し日本資本主義が急速に帝国主義へと発展していった時代であった。明治天皇はおよそ退位など考えられる状況ではなかったであろう。

 ところが昭和天皇の場合は、明治以来の近代日本の成果を、無条件降伏という史上に例のない屈辱的な敗戦によって一挙に失ったのである。昭和天皇は「神勅を履行」しなかったばかりではなく、天皇制そのものをも危機に陥れたのであり、皇祖皇霊に対する責任は歴代天皇の中でもっとも重いわけである。

 両者はまったく対照的な立場にあるのだ。明治天皇の言葉を借りて自己が退位しない根拠にもってくるとは何とご都合主義的な厚かましさであろうか。

◎マッカーサーとの「信義にもとる」?

 さらに昭和天皇は「わたしの任務は祖先から受け継いだ此の国を子孫に伝えることである」と述べている。『朝日』(一月六日朝刊)は、「わたしの任務、此の国を子孫に」と大見出しで書いているが、これは誤解を招く。これでは「子孫」は国民の子孫と受け取られるだろう。昭和天皇が意味するところは、前後の文脈からして明らかに皇室の子孫であり、「祖先」も皇室の祖先である。

 ところで天皇の発言の中には、「戦争責任」どころか「責任」という言葉さえ一切出てこない。彼には統治者としての責任観念は欠落している。強いて言えば「此の国を子孫に伝える〝任務〟」があるが、その任務は天皇にだけあるのだから、天皇は任務を遂行するだけで、退位のしようがないということになる。

 「退位しない」もう一つの理由は、マッカーサーに「退位しない」と答えたので、退位しては「信義にもとることになる」からと言う。しかGHQ(連合国総司令部)が天皇制を廃止しないことは敗戦の時点でほぼ分かっていたのだから、マッカーサーとの約束云々を持ち出して退位しない理由にすることはできない。マッカーサーとの約束がどうであろうと、統治権の総攬者として、国家と国民を破局に追い込んだ責任は免れないのだ。

 今世紀の二度の世界大戦は多くの国の君主制を廃止させた。第一次世界大戦においてはロシア、オーストリア、ドイツ、トルコなど強大な国家の君主制が崩壊した。

 また第二次大戦においてはイタリアをはじめ、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアなどの君主制が廃止された。とくに敗戦国では君主制の廃止は決定的であった。ところが日本においては天皇制が廃止されないどころか侵略戦争を遂行した天皇そのものが戦後もその地位に留まったのである。

◎天皇の戦争責任は免れない

 日本のような、こういう極端な例外には必ず特別な理由が存在する。それは天皇制を戦後の日本統治に利用しようとしたアメリカの占領政策である。広島に原爆を投下した『エノラゲイ』の横腹に「ヒロヒトを葬れ」と書かれていたと言われるが、アメリカの世論は、昭和天皇をヒットラー、ムッソリーニとならぶ軍国主義の権化と見なしていたのである。

 天皇を訴追せよというアメリカの圧倒的な世論を押し切って天皇の責任を不問に付したのは、明治以来天皇制教育を徹底的にたたき込まれた日本国民を敵に回しては軍事占領が円滑に運ばないことをアメリカが恐れたからである。敗戦によって日本国民に対する天皇制の拘束は緩んだものの、国民の多くにとって天皇制の呪縛はなお条件反射に等しいものとして存在したのである。

 しかしアメリカが天皇の戦争責任を不問に付したからといって、それは天皇が戦犯として法的な責任追及を免れただけであって、天皇自身の道義的な戦争責任がなくなったというわけではまったくない。というのは日本の天皇は法的に統治権の総攬者であるのみならず、「神聖不可侵」の神として絶対化されていたからだ。

 満州事変以来、ともに侵略戦争を遂行してきた東条英機以下腹心の部下たち七人を絞首台に送っておきながら、彼らの中心にあって絶えず戦況に一喜一憂し、自己の意思に反した何人もの首相を更迭したうえ、軍部の人事にまで容喙してきた天皇が道義的に到底無罪でいられるわけがないのだ。

 ところが昭和天皇は厚かましくも「熟慮の上、苦難に堪え日本再建に尽くす決意である」などと、皇位にあって宣っているのである。民間企業の経営者でさえ、会社を倒産させておいて「再建に尽くす」などと居直る社長はまれである。昭和天皇には一般庶民の最低の倫理観も欠如しているのだ。「信義にもとることになる」のはマッカーサーにたいしてではなく、日本国民に対してなのである。

◎言い抜けする天皇

 昭和天皇は「木戸(注・幸一)内大臣が終戦前に、将来退位問題が起こるであろうと言ってくれた時、反対はしなかったが、その時とその後では事情がちがう。退位すると言ったことはない」と述べている。天皇は明らかに敗色が濃くなったとき一時的とはいえ退位を考えたのである。

 しかしその後、連合軍の情報が伝わってくるにつれ、退位問題は棚上げにして状況の推移を見守ったのだ。そして事態が自分に有利になってくると、さまざまな理由を持ち出して退位しないことを合理化し出したのである。よくもこうしたずる賢さを身につけたものだ。おそらく数百年にわたる封建時代に権力から疎外され続け、その食客に甘んじなければならなかった皇室や公家たちが、知らないうちに修得した狡猾さなのであろう。

 そして昭和天皇は自分が退位したときを想定して次のように述べる。

 「もし退位した場合はどうであろう。何故退位したかと問われるであろうし、混乱も起こるであろう」

 退位による混乱! 全く冗談も休み休みにしてほしいものだ。国家を破滅に追い込み、無条件降伏といった屈辱を招いた国家の最高責任者が自死したり退位したりすることにいかなる国民も異論があるはずはないではないか。

 天皇や軍国政府は、国民に対して「生きて虜囚の辱めを受けるより死を選べ」と教えてこなかったか? アジアの人民二千万人を殺戮し日本国民の三百万人を犠牲にした最高の責任者が生き残って、しかも退位もしないのである! これほどの道徳的退廃はないだろう。天皇が戦争責任をとらなかったことこそ戦後、戦争責任がわけの分からないものになり、いまだに侵略に対する謝罪とか戦後補償とかの問題が尾を引いている根本原因ではないのか!

◎国体護持が至上命題

 また国体が護持されるかどうかがもっとも気掛かりだった天皇や支配階級にとって、天皇の退位によって生まれる無秩序や無政府状態の中で、抑圧されてきた人民による天皇制廃止や共産革命こそ避けねばならないことであった。戦前に二度にわたって内閣を組織した近衛文麿は、敗戦の年に天皇への上奏文を書いたが、そこで次のように述べている(筆者が口語に変えた)。

 「敗戦は必至である。しかし敗戦よりも恐るべきは、それにともなって共産革命が起こるかもしれないことである。敗戦だけなら国体の護持はできる。故に一日も早く降伏して共産革命を避け、国体を護持すべきである」

 内部で分裂していた当時の支配階級であっても、国体護持と共産革命回避では一致していたのだ。

 さらに退位しない理由として昭和天皇の次の言葉ほどこの人物の俗物根性を表わしているものはない。

 「また摂政になると予期して、戦時中の役目から追放になる身でありながら動きを見せた皇族もあるから、退位はなさらない方がよいと言ってくれたのは松平慶民(注・敗戦直後の宮内大臣)であった」

 これは何とご都合主義的な、いやらしい言葉であろうか!「戦時中の役目から追放になる身」の筆頭は昭和天皇自身ではないのか? 自らの責任を棚上げして権力の座をねらっている皇族(これは高松宮とみられるが、もとより彼も戦争責任を免れるわけではない)を警戒し皇位に一層執着する天皇! 国家が滅亡の危機にあり国民が塗炭の苦しみをなめているときに、天皇やその取り巻き連中(松平のような、権力者に取り入る嫌らしいおべっか使いが必ずいるものだ!)は権力争いにうつつを抜かしているのだ。

 階級支配が動揺するときは必ずこうした権力内部の退廃現象が起こるものだが、残念なのはこうした動揺や退廃を、革命党の不在によって天皇制の廃止、さらには階級闘争の発展に結びつけえなかったことである。

◎階級社会は差別を生み出す

 以上紹介したように、昭和天皇が「退位しない理由」として語ったところのものは、厚かましい牽強付会と恥知らずな居直りを並べたものにすぎない。責任逃れと自己保身にのみ汲々とした、このような唾棄すべき俗物を神として崇め、一国の最高責任者として奉ってきた社会とは、何と異常な、奴隷的社会であったことか。

 しかし現代も戦前とくらべて(象徴天皇制にはなったものの)それほど変わっているわけではない。昭和天皇の死から即位の礼、大嘗祭までの、あの自粛ムードと大騒ぎ、それに続く(現天皇の)皇太子の結婚フィーバーはまだ記憶に新しい。天皇や皇室の前では国民の権利や自由もなきに等しいものとなる。個別科学の分野を究めたはずの学者や反道徳的なあるいは権威に楯突く小説を書いたはずの文学者たちが、文化勲章を天皇から授与されて喜々としているのである。

 部落解放運動家の松本治一郎は「貴族あれば賎族あり」と言ったが、皇族といった、生まれや血統によって優遇される特殊な集団を認めることは、その反対の極に、生まれによって蔑まれ差別される集団を生み出すことになるのだ。現代の民主主義が、天皇や皇室に何の疑問もなく、その存在を許しているところに(それどころかますます雲の上に祭り上げている)その退廃の深さを見るのである。

 現在、日本の資本主義は政治的にも経済的にも行き詰まり退廃を深めているが、こうした状況の中で階級対立が再燃し発展し始めることは必然である。このことは同時に右翼反動派が跳梁しはじめ、戦前同様天皇を政治の舞台に押し出そうという画策も活発になることでもある。

◎ますます権威的存在になる天皇

 天皇制の問題は理論的にはブルジョア民主圭義の課題であり、法の下の平等の徹底的な実現の問題である。しかし現在の日本において天皇制の廃止は、ますます資本主義制度の打倒と社会主義革命と結び付けて考えられなければならなくなっている。

 敗戦後、絶対主義的天皇制は骨抜きにされ、象徴天皇制として生き残った。しかし戦後一貫して天皇の地位は、その形式性、儀式性を純化徹底させる方向ではなく、逆に天皇を権威的な存在に祭り上げ元首化する方向に進んできている。

 日本国憲法が施行された直後に文部省によって発行され、徹底的な非武装を説いているが故に民主的な教科書として評判の高かった『新しい憲法のはなし』においても、天皇については「こんどの戦争で天皇陛下は、たいへんごくろうなさいました」とされ、戦争責任は軍部や取り巻き連中に負わせられている。

 そこではさらに「天皇陛下を私たちのまん中にしっかりお置きして、国を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません」などと敬語を随所に用いながら天皇が政治を行っているかのような、国民主権を否定する記述になっており、しかも「日の丸」も国旗と断定されている。

 敗戦直後の、もっとも民主的と言われる教科書さえこのありきまであるから、その後の教科書や学習指導要領の変遷は推して知るべしである。

 1966年の『期待される人間像』では、「日本国を愛する者が、日本国の象徴を愛するということは、論理上当然である」とし、天皇を「自国の上にいただいてきたところに、日本国の独自の姿がある」とされる。ここにはすでに戦前の天皇制に対する反省はまったく見られず、逆に過去の天皇制を復活強化しようとする姿勢が強く押し出されている。

 そして十年前の学習指導要領の改定では、小学校社会科で「天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにする」となり、同時に小・中・高校の入学式、卒業式で「日の丸」「君が代」の実施が義務化されたのである。敗戦時の天皇や支配階級の国体護持の悲願は、形を変えて見事に成就されたと言える。

◎天皇制廃止の闘いを階級闘争の発展と結びつけよ!

 こうした天皇制の復活強化は、日本資本主義の復活とその帝国主義化と軌を一にしている。階級分裂と対立がますます激しくなろうとしている社会の中で、国民統合のイデオロギー的要石としての天皇制は、その存在意義をますます高めてきているのだ。

 丸山真男は「天皇制は無責任の体系だ」と言った。確かにその通りである。昭和天皇を見れば分かるように、この人間は皇祖皇霊以外にどんなものにも責任を感じていない。しかしこの恥知らずな無責任さは、天皇制のみならずすべての君主制に共通したものであり、この無責任さこそ君主制の本質なのである。

 またフランス革命当時、急進民主派のサン・ジュストも叫んでいる、「王権の存在そのものが悪である」と。丸山真男やサン・ジュストは全く正しいが、しかし天皇制は日本においてすでに思想や言論の問題ではない。それは実践の課題である。労働者の階級闘争を発展させ、この奴隷的な、恥ずべき遺制を葬り去らねばならないのである。
(KS)

「海つばめ」第709号1999年1月17日

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