2016年8月12日金曜日

シリア・モナムール

 昨日「シリア・モナムール」を見てきた。

  「亡命先のパリで、故郷シリアの置かれた凄惨な現実に苦悩し続けていた一人の映画作家オサーマ・モハンメドは日々YouTubeやFaceBookにアッ プされるシリアの映像を集めることしかできなかった。しかしある時、SNSでシマヴというクルド人女性に出会う。シリアの戦禍の中、あらゆる映像を撮り続 けるシマヴは監督オサーマの目や耳となり、カメラを廻す。カメラを持たない映画作家オサーマはシリアの人々が記録した1001の映像を繋ぎ合わせ、一つの ストーリーへと紡いでいく。そこにはオサーマとシマヴの映像による内省的な愛の対話が積み重ねられている。」

 アサド政権に対する民主化闘争は、アサド政権の強硬な弾圧と反撃により内戦となった。そこにヌスラ戦線(ISIS)が介入し、三つ巴の内戦となっている。またそれぞれに支援する諸国もあって国際的にも解決の道は遠い。

 主人公はたまたまカンヌに行っていた監督と現地の反体制派(自由シリア軍)シンパであるクルド人女性シマヴとの会話が軸となっている。外国でカメラを持た ない監督と、現地でたまたまカメラを持った女性の映す映像。いとも簡単に人が殺されていく。笑って人を殺す政権側兵士。残された死体は撃たれたというには 酷いほど頭部・顔面が損傷している。子供も例外ではない。緑色の布にくるまれた二人。前日まではシマヴのカメラに笑って映っていた子たち。シマヴは子供た ちを集めて学校を作るがそのうちにシマヴ自身がクルド人と言うこともあってか反アサド派内でも対立が起き、彼女も危機にさらされる。

 アサド体制に戻っても反体制派への粛清は避けられない。反体制派にも内部対立や崩壊の芽が潜んでいる。原理主義ヌスラ戦線の介入が反体制派の分裂や同様の一因かもしれない。

 監督は現地へ戻るべきか悩む。希望を失いがちになっていくシマヴ。傷つきながらも明るい子供たち。

 戦争で負傷した動物たちの映像も多く出てくる。ネコ、イヌ、ウマ・・。彼らはひたすら助けを求めてくる。人間ですら生き抜けない環境の中で。

 中東は民族対立・宗教対立と言うがその対立がこういう内戦と言うかたちにまで激化するのは背後の対立しあう帝国主義諸国があるからだろう。果てしない破壊と殺戮。

 彼らの未来は、彼らだけの課題なのか? 世界を変革する主体たる労働者階級の責任は重い。
「愛の映画」と紹介文にはあるが、その「愛」とは監督とシマヴの「愛」だろうか? 「人類の希望」への「愛」だと思いたい。

 


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