2016年8月7日日曜日

「人間」視するなら天皇制廃止しかない
「海つばめ」ダイジェスト8月6日号

★自民党と反動どもの改憲策動、軍国主義路線を断固粉砕しよう!
★「搾取の廃絶」と「労働の解放」の旗を高く掲げよう!
★「労働者党再建」と「国政への復帰」を勝ち取ろう!
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「海つばめ」ダイジェスト 第475号
 2016年8月6日【無料版】
 マルクス主義同志会 http://www.mcg-j.org/
 ――嵐よ! 強く強く吹き荒れろ!――

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「人間」視するなら天皇制廃止しかない
憲法は天皇を「旗」と同等のモノ(「象徴」)と規定
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 天皇が、つまり日本の“国民”にすら属しない、したがって国政や国民の権利義務とも無関係な“天皇”なるものが、「生前退位」を“希望する”と言い始めた。ブルジョア世論も安倍政権も、「藪をつついてへび――たとえば天皇制の“戦争責任”とか、天皇制そのものの退位、つまり廃絶といったへび――を出す」ことになりかねないなどと困惑気味である。
 知ったかぶりの、そして何の原則もない自由主義的世論(朝日などのマスコミ)は、天皇といえども「人間」であり、“公務”が大変な重荷になっていらっしゃる、その自由な意思表示や「人権」は認められていいのではないか、ましてご高齢の天皇であって、憲法の定める「国事行為」をこなすことも杓子定規の憲法や皇室典範の厳格な適用などする必要はないのではないか、などと言い始めている。

 しかし天皇は、実際には太平洋戦争の激戦地などへの「慰霊の旅」とか、被災地への「お見舞い」とか、あれこれの国民的「行事」への参加とか、「皇室外交」とか、憲法に規定されている以外の“政治的な”意味を帯びる行為や、皇室の人気取りや利益のための行幸とかに大忙しであるが、最悪の“戦争犯罪人”一家の長として、破廉恥で、はた迷惑な出しゃばりではないのか。

 天皇やその一家の「人権」についておしゃべりするなら、まず天皇を天皇として、つまり「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」という、天皇の存在についての規定を廃絶することから始めるべきであって、天皇をこんなわけの分からない地位や立場に祭り上げておいて、天皇も「人間」であり、日本国民の一員であるかに「人権」を云々するのは筋違いではないのか。

 天皇に「人権」を認める前提は、天皇が我々と同様な普通の人間の一人であり、また国民の一人であることだが、しかし日本の憲法は、明仁を我々と同様な人間とも、国民の一人とも認めていないのである、というのは、彼は国家や国民統合の「象徴」だからであり、そんな存在としてのみ天皇だからである。

 しかし一人の人間、一人の国民として明仁は天皇ではなく、単なる個人であり、したがって国家や国民の象徴にも、国民統合の象徴にもなり得ないのだが、それは安倍が首相になったからといって、そうなり得ないのと同様である。

 かくして天皇なるものは「人間」ではなく、人間や国民を超越したものとして天皇であるし、天皇と憲法で規定される限り、そうなるしかない、つまり全知全能の“神”として、一切の批判から超絶した、超越的、“絶対的な”存在として事実上規定される以外ない。国民はその前にみな頭をたれ、ひれ伏し、尊崇する以外ない存在、というわけである。

 国民を15年にもわたる、反動戦争に駆り立てるには、近衛文麿や東条英機の名によってでは十分でなく、抵抗も大きいのだが、天皇の名によってなら、天皇のための戦争だということならより容易になるのであり、だからこそ天皇は超越的存在、「神聖にして侵すべからざる」存在として、世界の労働者、勤労者を搾取する欲望に燃える帝国主義的大ブルジョアや、野望や名誉心、功名心の塊でしかない軍部ファシストや、反動的な国家主義の政治家たち――安倍や石原ら悪党の同類――にとって、労働者、勤労者を彼らのもとにひれ伏させる、これ以上ない道具であったのである(今も本質的にそうである)。

 ブルジョア支配階級はそんな“天皇”像をでっち上げつつ、自分たちの支配のために利用するのであり、“絶対的な”天皇の権威を利用して労働者、勤労者を支配し、搾取し、また彼らの支配体制や秩序体制を強化し、日の丸・君が代であれ、天皇崇拝であれ、何でも押しつけ、その前に羊のごとく従順に、従属することを強要するのである。かつては数百万の国民が無意味に死なくてはならなかったような、そして国土までが焼け野原になり、荒廃したような反動的な15年戦争(1931年から45年まで続いたアジア・太平洋戦争、日本が口火を切った帝国主義戦争)に、まさに天皇の名で労働者、勤労者を駆り立てたのである。

 自由主義派は、今の天皇制は、「『人間天皇』への配慮が欠けていた」とか、「『天皇は自由意思は持てない。国家制度の一部である』という冷徹な“天皇機関説”に聞こえる。『天皇に人権なし』とさえ言っているようだ」とか、「天皇は日本国憲法のもっとも大切な理念である基本的人権の『枠外』としてしまっていいのだろうか」とか、「われわれは象徴天皇制が血の通った一人の人間の存在の上に成り立っていることをよく考えてみなければならない時期に来ているのかもしれない。もし、それが人権を抑圧し、犠牲を伴う制度であれば、それこそ憲法の理念に反している」とか言いはやしいる(朝日新聞、7月22日、編集委員・井上亮)

 笑止千万である。天皇制の「非人間性」は、この時代遅れの、野蛮な制度自体に内在しているのである。その本質は、かつての15年戦争によって完璧に暴露されたのであって、戦争に駆り立てられてなすところなく死んでいった何百万の軍服を着た労働者や農民や青年たちにとっては――あるいは生きて帰ってきた彼らにとっては――明らかであって、敗戦後、マッカーサーが仮に天皇を戦犯として告発し、天皇制を断固として廃止したとしても、喜び勇んで大歓迎しこそすれ、文句一つ言わなかったことだけは確かである。

 マッカーサーは敗戦後、日本を“民主化された”ブルジョア国家として立て直すために、そして労働者の革命を回避するために、天皇の免罪と引き替えに、天皇と天皇制を利用しようと決意したのである。安倍や反動たちは、天皇制を延命させたマッカーサーへの感謝の念を、戦後ブルジョア体制の恩人を、東京裁判のありがたささえ、決して忘れるべきではないのである。

 井上らが、天皇制は「憲法の理念に反している」というなら、それは天皇制自体にあるのであって、一貫するためには、時代遅れの天皇制を廃絶せよと言うべきであり、またそうする以外ないことは明らかである。天皇に国民としての権利が、つまり憲法が適用されていないというなら、それは天皇を一般国民と区別される「国家の象徴」といった、意味不明の地位に祭り上げている、反動的な憲法自体の問題であって、憲法から天皇制条項を一掃する以外に、どんな原則的な解決も存在しないのである。

 天皇や天皇制の存在自体が、国民全体の「権利」をすでに侵しているときに、天皇を国民全体から、労働者、勤労者から区別し、切り離して、「国家」や国民の象徴に祭り上げ、最初から「出自」や「血筋」や「家系」や「社会的身分または門地」(現行憲法14条の言葉)等々によって差別し、分断し、憲法そのものにさえ、その「権利」規定にさえ矛盾し、齟齬を来しているときに、天皇の「人権」などなぜ持ち出すのか、持ちだす必要があるのか。

 自由主義派は天皇の「人権」を心配する、しかし天皇制自体が国民全体の「人権」を無視し、それに反した存在であり、国家の体制だというときに――というのは、それが根底的に国家的規模における、ひどい差別制度であることは明らかである――、天皇の「人権」についてもっともらしいおしゃべりふけることはできない。

 天皇は国民に保障される「人権」を超越した存在として、そして憲法に定められた「国事行為」を忠実に、自分の「義務」として行う限りにおいて、「天皇」であり、そんな天皇に「人権」があるとか、ないとかいう議論こそナンセンスであり、ピント外れである。

 井上は「冷厳な“天皇機関説”」を持ち出すが、ここでは「冷厳な」も、「冷厳でない」もないのであって、天皇制が現代にあってはすでに時代遅れ――というより、時代錯誤――であり、非人間的であるしかない――国民にとっても、そして天皇一家にとっても――という、根本的なことを忘れている。「冷厳」を言うなら、それは天皇制そのものに内在する、天皇制の本質である。

 我々は天皇の「人権」を心配する前に、何百万、何千万の労働者、勤労者の「基本的な人権」さえ疎かにされ、踏みにじられている現実を――そしてそうした現実に天皇と天皇制自体も関係していることを――、問題にしなくてはならない。

 天皇の「人権」について言えば、その喪失さえ、天皇や天皇家の連中にとっては苦痛であるどころか、自分らの存在を確かなものにしてくれる一つの愉悦であり、快事でさえあり得るのであって、そんな特権階級中の最も特権的一家である天皇らの「人権」のために心配してやるのは愚の骨頂であり、気楽な自由主義派の偽善的で、利己的でさえある本性を暴露するのである。

 天皇や天皇一家がそんなにも「人権」の欠如が苦痛だというなら、個人的にでも、全体(天皇家)としてでもいいから、さっさと自分たちの特権的、“治外法権的な”地位の国民への返上でも「奉還」でも何で申し出ればいいのである。ブルジョア支配階級や反動はいざ知らず、労働者、勤労者は喜々として彼らの「大政奉還」を承認し、うっとうしく、煩わしく、そして不愉快な権威や、「文化」や「伝統」といった独りよがり(内容のない「象徴」といった、純粋に寄生的存在)の一掃と喪失を大歓迎し、ただそれだけで、たちまち晴れ晴れとした気分になること請け合いである。

 天皇制権力によって虐殺された明治の幸徳秋水や昭和の小林多喜二らの例を引くまでもなく、また「天皇」の名によっておこなわれ、何百万の日本の労働者、勤労者の、若者たちの、あるいは日本の侵略による、アジアを中心とした外国の死者も含めれば、千万、二千万にも達するような犠牲者を出した15年戦争を持ち出すまでもなく、天皇制はすでに余りに多くの労働者、勤労者の血にまみれた、野蛮で反動的な制度であることを、歴史的にも自ら明らかにしてきたのである。

 朝鮮の植民地化、つまり何千万の朝鮮国民の奴隷かもまた、天皇の名によってなされたのである。

 井上が、天皇制が「憲法の理念に反している」というなら、そしてこの自分の主張にどこまでも忠実でありたいと望むなら、彼は天皇制の廃絶を要求し、そうした立場から憲法改正に賛成して断固として立つべきであろう


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